片づけたなら、そこから素敵なリノベーション・・・じゃないのであります。
建物で大事なのは、屋根・壁・水回り・床・通気。
しとう先生は屋根の形が複雑で雨漏りの跡あり。
しかし幸いなことに、雨の後に触っても湿っていないので屋根の修理はしているよう。
そして問題なのが外壁。とにかく傷んで汚い。
廃墟にしか見えない!
しかし、塗装することで家はもう少し寿命が延びます(ずっと使えるわけじゃないけど)。
それに色が変わると、イメージも変わります。
だけどお金がかかる。
瓦屋根をやり替えてウン百万とかありえる話。
そこまで掛けても新築にはならないし、家賃を上げられる訳でもありません。
でもそんなこと慣れっこ!
古家に大事なのは、ほどほど加減。完璧目指してちゃ、メンタル壊れちゃう!
レッツ、リピートアフターミー!
「ほどほどでいこう!」
見積もりを最低ラインで出してもらって、イケる気がしたので、久しぶりに銀行さんに融資をお願いしに行きました。
以前、糸島のなつこさんでリフォーム資金を借りたことがあったので、同じように必要な数字を打ち込み、今までの事業内容や自分の属性や経験、目的も精一杯書き込み、銀行さんとの交渉もニコニコしながらやりました。
前回は人気の糸島物件だったことに助けられたので、田川ではどうかな・・・と不安もありましたが、満額、担保なしで県の融資通りました。
ありがとうございます!
そうして、工事は進み・・・
きれいになりました。
嬉しい・・・♡
すると、アルミサッシの玄関ドアと、室内の昭和の病院の雰囲気に違和感を感じるようになりました。
昔の病院っぽいドアだったらいいのに・・・いや、それだとグレーっぽい外観と合わない。
思い切って違うドアにしよう。
ここは何の店だろう??って、オープンでありながら好奇心が搔き立てられるようなドアがいい。
数少ない友人の伝手で、カッコイイ店舗をいくつも手掛けてるマリオンさんに施工をお願いしました。
くっ!
マリオンさん、最高ッス!
予想の3倍カッコイイ!
実際、工事中に何人も「なんのお店が出来るの?」と話しかけられたそうです。
うんうん、気になるよね!
お店やりたい人が入るといいな〜!!
でも
なんかちょっと・・・・きれいになり過ぎたような気もします。
中身が古いままなんで、がっかりされないかな・・・ナンコレ?みたいな。
途端に何故か強烈に不安に襲われる、ネガティブ大家。
募集どうしよう・・・
中を好きにいじれるの最高って思ってくれるような、いかした変わり者は田川の何処にいるのかな・・・
いなかったら、
ど、どうしよう・・・・(続く)
]]>
2022年12月に購入してから、コツコツ片づけておりました。
そりゃもう、ほとんど一人でコツコツ・・・
春も・・夏も・・
住んでいたご家族のものが沢山沢山! 捨てるもの、取っておくもの、と選り分けられていきました。
おそらく大切だったもの、思い出の品、本、服、写真。
もう捨てますよ、と袋に入れました。
ゴミ袋を何度も何度も運びました。
箪笥をいくつも壊し、ゴミ袋に詰め込み、分別して捨てるの繰り返し。
粗大ごみを何回も出し、資源回収に出せるものは出しまくり。
大きな家具を持って行ってくれたり、処分を手伝ってくれる人もいて、助かりました。
売れそうなものをまとめて、友人の伝手で蚤の市で売ったりもしました。
お陰でくじけずにすみました、ありがとうございました!
かなり片づけが進み、手を付けてなかった小さな部屋に取り掛かった時でした。
山のような荷物を、ゴミと売れそうなものに分けてると、一番の下の黒い箪笥から古い書類が出てきました。
一応目を通しておこうと確認していくと、明治元年生まれの院長先生の祖父のもの、父のもの、院長先生の若いころのアルバム、戦時の郵便、院長先生の子ども達の賞状、家族の歴史をまとめた封筒等々でした。
この家の一族の歴史の深い深い流れに吞み込まれそうでした。
明治から大正、昭和を、戦争を、石炭から石油へのエネルギー革命を、激動の日本を生き抜いてきた一族の思いが、現れては消えて、現れては消えました。
家を守るために必死に働き、子どもを育て、趣味を楽しみ、手紙をやり取りし、年を取り、病と闘い、一人また一人と家を離れて、やがて誰もいなくなる。
ワタシはしとう先生に初めて入った時に、「ああ、片づけたい!」と強く思ったことを思い出してました。
そっか・・・これが呼んでたんだな・・・
「家を継ぐ」という重さ、かけがえのない家族の歴史、だけど誰もいない悲しみ。
この家に存在した、とてもとても大事だったもの。
院長先生の子ども達は病院を継がなかったようで、息子さんは病気で亡くなり、娘さんたちは遠くに嫁いでいます。
この家を継ぐ人はいなくなり、荷物を残したまま空き家となり、家だけが残されてしまいました。
どんな町にもどんな家にも、ありふれた現実です。
この家も、もう前の家族が戻らないことはわかっていたんでしょう。
でもある日、ひょいと古家に慣れたおばさんが現れて、しとう先生しとう先生と話しかけたり、片づけたり掃除を始めるものだから、前の家族のことを分って欲しくて、その上でこの大事なものをどうにかして欲しかったのでしょう。
わかりました。
この書類は捨てたり無駄にはしません。
三代に渡って三井田川鉱業所に勤めたり、地域で病院を経営していた院長先生の資料として、田川市歴史石炭博物館に相談してみたら、引き取ってくれることになりました。
よかった〜
しとう先生、よかったね。
これからは気楽に楽しく過ごしていいからね。
今から入居者募集頑張るから、新しい人が住むようになったら、どうか優しく守ってあげてね。
そうして、段々としとう先生の空気が変わり始めました。
(長くなったので、続く〜)
]]>元々は病院で、増築を繰り返して、今はかなりくたびれています。
そんな古家なので、「しとう先生」と名付けました。
相変わらず、家の価値なしの売り土地でネットに出ていた物件です。
数年間空き家で物がたくさん残ったままだったので、安くなっていました。
屋根が雨漏りしてたら無理だなと思いつつ、一度内見させてもらったら
荷物の山の中に元病院らしい腰壁やドアが残っていて、
ああ、片づけてあげたい・・・!!
って思いました。
↑
病気!
もちろん屋根も外壁も傷んでるし、補修もかなり費用がかかるでしょう。
それをやっても見合う家賃がとれるか〜無理だろうな。
頭では儲からないと分かりつつ、いつも何とかやってきた経験から、
何とかなるかなあ〜と思いました。
↑
だから、病気!
思い切った値引き交渉して、ダメならあきらめようと運に任せてみたら、売主さんが折れてくれました。
すみませんでした、でも有難うございました。
これから、片づけていきますね。
小さな古い家ですが、しとう先生、とても気のいい可愛い雰囲気ですよ。
他の家もあるからのんびりペースになると思いますが、また頑張ります。
そして蔵人ビルのように、楽しく使ってくれる人が現れてくれたらいいなあ。
さあ、このワクワクが、古家商の原動力。
よかったら見守ってくださる皆さんも、同じようにワクワクして楽しんでくださいね!
(しとう先生、病院やめた時に医療器具などは大抵は処分されてて、残ってるのは古い本とか日用品ばっかりです。
興味半分で覗かれても防犯上困るので、住所は今のところ非公開にします)
]]>
今どきは情報発信の方法がいくつもあり、ワタシなどの長い文章で私的な感情の垂れ流しなど誰が読むのか、邪魔ではないのかと、いまだに思います。
が、やはり書くのはワタシにとって楽しみ。不動産も古家も楽しみ。
検針のおばちゃんでありながら、古家を買い続け、やたらと面白いことに出会う古家商の物語を続けていこうと思います。
前回は2022年3月の、ベラミ山荘で「もしもベラミで」が終わったことを書いてました。
5月にはほしそらフィルムの「若戸大橋まつり」も開催され、沢山のお客さんでにぎわいました。
関係者の皆様、お客様、ありがとうございました。
この頃、時川座が体調を優先するため退去され、いつも賑やかだったのが急に静かになってしまいました。
気を紛らわすように、初夏からひたすら庭と格闘しておりました。
ベラミ山荘の、草が激しく茂っていつも通れない道の草を取り、砂利を敷き、コンクリートを敷く作業。
真夏に汗だく!
宇美町の心晴でも庭木が大変な高さになってしまい、なんと
き、きゅ、9メートルに・・・
もうそこだけモサモサ(´;ω;`)
素人では無理なので業者さんに頼んだら、スズメバチの巣まで見つかる始末。
植木は定期的に切らないといけませんでした・・・反省。
そうこうしてるうちに、時川座の後に新しい入居者さんが入り、頑張ろうって気になってきましたよ〜
ベラミ山荘の池の向こうの紫陽花を剪定しようと、長靴で池に入っているとき
新しい入居者のあわさんが娘さんと来たので、挨拶して池から上がろうとしました。
「大家さん、大変ですね、手伝いますよ!」
「大丈夫、もう上がるし大丈夫だよ」
いつもこのくらいやってるから平気って顔で、できる大家さん気取りでジャブジャブ水の中を歩き
「この池ね、一部深いんだけど他は浅いから平気なんだ〜」
「そうなんですね」
「うん、そこだけ気を付ければ大丈・・・あああ???」
ズボボボボ・・
え?
なぜ足元がなくなっていくうううう〜???
慌てるあわさんの横で固まってる娘さんの目が、へらへら笑って池にはまっていく大家さんに釘づけ・・・
体が斜めになっていく数秒で
いや、ワタシいつもはもっとしっかりしてるのよ〜〜
ほんとに池の穴もちゃんとわかってて、ただ歩いてるうちにずれちゃっただけで〜〜〜
初対面でこれって、どういうこと〜〜〜
娘ちゃんの大家のイメージ最悪最低やんか〜〜〜
頭で駆け巡る言い訳の数々。
世間はそれを、ポンコツ と言う。
結局、服は腰以下が泥付きのずぶ濡れ・・・
たまたまあったあわさんのワンピースまでお借りして帰りました。
すみません、すみません、池にはまるのこれで二回目です ← なんでや
そうやって、2022年の夏は過ぎていきました・・・・
]]>少し前ですが、2021年2月〜9月に「懐かしきベラミ」という展示を行いました。
これはベラミ山荘の片づけで出てきたキャバレーベラミの資料をこれでもか!と出した展示でした。
実は当時、ワタシとしてはキャバレーベラミのことを出すのはもうこれで最後にしようと思っていて、最後の区切りのつもりでした。
もうグランドキャバレーは無く、ダンサーもいなくなって、若松の繁栄も過去のこと。
「昔は凄かった」なんて、いつまでもそれをメインにしてたらダメ。
埃を被った箱モノだけでは、飽きられて消えると解ってたからです。
それよりも、今使ってもらわなくては。
見学や写真撮影もいいけど、それだけではやっていけない。
実も蓋もない言い方だけど、毎月お家賃を払ってくれる人が、ベラミ山荘を支えてくれるのは事実。
クラウドファンディングも借金もする気はありません。
一人でやってる主婦(しかもパートと兼業)がそんなリスクなんて背負いたくない。
だから本当にただのシェアハウス、シェアオフィスに方向転換していくつもりでした。
でも、やはりキャバレーべラミがきっかけとなりました。
「懐かしきべラミ」を見たオペレーションテーブルの真武さんから、アーティストさんとここでやりたいと話が来た時は、それほど乗り気になれず「僻地だしお客さんもそんなに来ませんよ」と正直に言いました。
「使うなら家賃が発生するし、やるのは大変ですよ」と。
それでもニコニコと楽しそうにやってくる真武さんと何度か話し合い、こちらの意向や条件も確認した上でゴーサインを出しました。
そして東京から二人のアーティストがやってきました。
どんな人たちで、どんなことする気なのだろう?
少し不安だったけど、普通に話ができて自然体で楽しそうな人たちで安心しました。
肝心の展示について聞くと、今から考えますとのこと。
一体どうなるのか、見当もつきません。
撮影が始まり、入居者さんたちも巻き込んでベラミ山荘で作品が作られていきました。
最初はワタシはアーティストさんの邪魔を極力しないようにしようと思ってたのですが、二人は全く周りを排除することなく、そこにいる人、ここにあるものをどんどん生かしていきましたし、むしろ、それによる化学反応も楽しんでるようでした。
え?アートってそうなの?こういうのが現代美術?よくわからん。
わからんけど・・・案外楽しいな。
だって、藝術とか言われると遠く感じて近寄りがたいけど、こうして一緒にやってると学生時代の文化祭みたい。
そんな和気あいあいの中から撮影が進んでいきました。
最終的に編集された作品は、やはりベラミであってベラミでない、岡田裕子さんと三田村光土里さんのそれぞれの世界。
慣れた日常とははっきり違うものがここから生まれてきてました。
予想してた以上のなにか。凄い。
三田村さんはしっとりした熱と皮膚のしたの血脈を感じます。
岡田さんは現実をカリッと引っ掻いている、騙し絵のよう。
ワタシは、もうそれだけで十分と思いました。
作品はもう出来上がってる。もうべラミ山荘がやることは展示の場所を提供するだけ。
現実的なワタシはベラミ山荘管理者として、会場でこれを流すだけなら対応も楽だな、くらいに考えてました。
そして
『もしも、ベラミで』 岡田裕子・三田村光土里 女ふたり藝術ショータイム がスタート。
お客さんがやって来たら、なにか会場に熱気が出てきました。
赤いカーテン、ライトの影、繰り返す唄のトーン、ベラミの古い古い亡霊の気配。
おや?なんだ、この雰囲気・・・?
お化け屋敷みたいな、舞台みたいな、ざわざわざわざわ…
ユニコーンのタペストリーが、キャバレーの女たちの写真が、三田村さんの声が、繰り返す岡田さんの唄が、立ち上ってじわじわと惑わし始めます。
お客さんたちがそれに反応するのがわかりました。
お客さんたちの感度が上がって、目が動く、立ち止まり、見上げる。
触れる、刺激される、そして、、、中庭で呆然とする。
お、面白れーー!!
↑
感想が雑!
観客がいて完成していく現場感。
ぽつんと残された昭和の名残、高塔山の森の奥のベラミ山荘で体感するワクワク!
これはギャラリーのような静かな展示とは違う、楽しい!
加えて、企画の真武さんの繰り出す合わせ技。ショータイムにトークイベント、歌声喫茶。
季節もちょうど良く、晴れの日には中庭で椅子に座り、鳥の声を聞きながら聞き入りました。
まるで夢でも見てるような、のんびりした異空間。
あっという間に時間が過ぎ、名残惜しくも、3/27には『もしも、ベラミで』 岡田裕子・三田村光土里 女ふたり藝術ショータイム は終了しました。
片付けの後、裏方を支えた皆さんと元々の広い部屋を見ながら
「お祭りの後だね・・・」「楽しかったね・・・」と呟きました。
ハナダイコンの花が咲いた中庭は、いつものべラミに戻っていました。
夢だけど、夢じゃなかった・・・
↑
こらー、ジブリじゃないぞ!
今回、得難い体験をさせてもらい、主催のオペレーションテーブルの真武さん、岡田裕子さん、三田村光土里さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
有難うございました!
ああ、面白かったね!
]]>12月に一本の実を収穫して、生まれて初めてジャムにして食べました。メッチャ酸っぱいけど美味しくてクセになりました。
もう一本の方は、実が高い場所になっているので収穫が難しく、あきらめてました。
1月に高枝切りばさみがあるのを思い出し、ダンナさんが丁寧にはさみで取る横で、
雑なワタシは長い棒をぶんぶん振り回してたたいて落としました。
「取れたー」
「そっちに落ちた」
「ほい」
「はい」
冬の日差しがちらちらと降り注いで、木の実をとって遊んだ子どものころを思い出して楽しくなりました。
実際には、柚子はもう実がスカスカになっていたのですが(12月までに取った方がいいらしい)。
今まで、偶々植わっていた庭木に興味が無かったのです。
この家を買って8年ほど経ちますが、片付けやらイベントやらで庭まで手が回らず、梅が咲こうが柚子がなろうがフキが生えようがほったらかしでした。
最近はシェアハウスも落ち着いてイベントなども無いので、庭の手入れの時間も取れるようになりました。
植わってる木や花を観察して調べたり、何を植えようかと考えて楽しくなりました。
このままいくと、園芸(ガーデニングとも言う)好き主婦になれるかもしれません、ニヤリ。
ここ数年、なんとなく気持ちが沈み、ミッドライフクライシスのような状態でした。
一年前に義母が闘病の末亡くなり、子ども達も段々と手を離れて、漠然と「誰でもいつか死ぬ。自分はこれからどうなりたいんだろう、このままでいいのか?」と不安だったのかもしれません。
母や妻であり、個人事業主の仕事をこなし、古家商も続ける中で、楽しい事や笑った事、ワクワクする経験が沢山ありました。キツイ事も悔しい事、苦しい事も沢山ありました。
環境や性格や価値観や年代の違う人たちと出会って関わりあって別れて、言葉に到底出来ないほど感じるところがありました。
自分がずっと大切にしてた価値観や憧れがガラガラと崩れ、茫然としたこともありました。
中年になった自分は、若い頃に想像した未来とは全然違っていました。
もっと広く、深く、苦い現実。
これから・・・どうしていこう?
そんな人間の心に関係なく、植えた水仙は寒さの中で花を咲かせ、桜は春に咲き、剪定した枝の新芽は伸びていきます。
しなやかで強い生命。
植物や土に触れながら、自分の混乱を一つ一つ整理していきます。
中年だからこそ、見えてくるものもあります。
この静かな気持ちは、きっとこれからの自分に必要なのでしょう。
ネットにもどんな素晴らしい本にも載っていない、自分の人生の地図。
ぼちぼち行くしかないですからね〜
そんな中年大家のつぶやきでした。
]]>
「さあ、一番に車を乗り入れるぞー!」
と張り切って下の道から上っていくと、
15センチ段差ステップでかなりアクセルふかさないと上りませんでした。
それでも ブオンブオン いわせてのり上げると、そこからの角度も急なので車の中がメッチャ斜め(気分的には45度)。
これ、ちょっと・・・無理があるな・・・
入居者さんもチャレンジしてくれましたが、やっぱり怖いとのこと。
うん・・・そうよね・・・
もう少し傾斜を緩くするために、やっぱりコンクリート打ちますか〜
大丈夫、一歩進んで二歩下がるの、慣れてるから〜
2021年12月 ブロック壊して出た瓦礫を敷き詰めてからの
コンクリート!
再度チャレンジ!
何とか上れたぞ〜〜〜! やったー!
よし、ここで庭に曲がって
ま、ま、曲がれないーーー
ブロックが邪魔で、角度が厳しい。
今年ずっと頑張ったのに、ダメなのかよぉーーー
どうせワタシなんてそんな奴だよーーー
結果を出せない負け犬じゃーーー
やらかしてしまうんじゃーーー
もうダメじゃーーー
ガックリしてナメクジのようにドロドロになるワタシに
ダンナさんは言いました。
「ブロックをギリギリまで壊したらいいんじゃね?」
そう言って、年末休みにすぐハンマーで壊してくれました。
ちなみに、ダンナさんは設備屋さんですが普通の会社員であります。
DIY好きとかではなく、大工でもなく、怪力でもなく、ホームセンターとホンダとパソコンの好きなインドアな理系人間。
なんでこんないろんなことを休みのたびにやっているのか?
間違いなく奥さんのせいでしょうね・・・
(あ、でも無理ならやらないって本人ハッキリ言ってるので、決して無理強いではない ← 必死の言い訳)
そして!
中庭に車が入れました〜!!
これで中庭で方向転換して下りることも出来ます!
(でも軽自動車でないと厳しいですね・・・大きい車は無理だと思います)
足の不自由な方とか、軽自動車での荷物搬入は可能になりました。
それだけでも嬉しい変化です。
*************************************
この作業、時間と手間考えたらお金払ってプロにやってもらえばいいんです。
でも夫婦二人で目標を目指してあれこれ考えながら、ホームセンターで材料買って、やってみて、生き帰りの車の中で話すのも楽しいなと思います。
大事なのは、大きな目標を無理しない程度に設定して、細かいことはこだわらないこと。
お互い出来ることは頑張るけど、出来なかったら諦める。完璧を目指さない。
作業終わったら美味しいご飯か、コンビニコーヒーと甘いもの食べて早めに帰る。
端から見たら、お金が無くて大変、可哀想に見えるかもしれないとわかってますが、別に気になりません。
いつまで体が動くか分かりませんが、ずっとこんな風にダンナさんと一緒に作業して、出来ることが増えて、少しずつべラミが変わって、面白がって過ごせたらいいなと思います。
年取っても、夫婦で一緒に話せることが沢山あるって、いいですね。
なんとなく贅沢な時間をベラミからもらってる気がしています。
また来年も、いろいろやっていこうと思ってます。
春にはイベントがいくつか入ってますので、楽しみにしていて下さい。
2021年年末 古家しょう子
]]>
外から中庭への出入り口は、もともと勝手口くらいのサイズでした。
一人通るのがやっと。
ここを車が入れるように、入り口を広げようと思います。
といっても、ブロックを先に壊すと猪も泥棒も入り放題になってしまうので、防犯上よろしくない。
新しい大きな扉(鍵つき)をまず取り付けます。
大体の扉の場所を決めて、柱を立てる・・・のは、もちろん手作業。
2021年10月 穴を掘って
廃材の柱に防腐剤を塗って
コンクリートで固定。
長さが違うのはご愛敬。
同じく廃材の床板を使って扉を作成。
取り付けると、間に隙間が結構ありますが、まあ、これもご愛敬。
↑
そこは、ご愛敬で済まされないやろ
2021年11月
蝶番で固定したものの、扉の重みで斜めになるので、アングルで固定したり、引っ張ったり。
すべて愛嬌で誤魔化そうとする奥さんと違い、ダンナさんが何とかしてくれました。
真面目だなあ。
↑
いや、ちゃんとしないと倒れるから
外側に鍵も付けました。
隙間から手を伸ばして内側からも開けられるようにしてみました。
でも波板トタンに当たって結構痛い・・・・のもご愛敬。
さあ、これでブロックを壊すぞ〜
ハンマーで!
ダンナさん、頑張れ〜〜〜
↑
とことん鬼嫁♥
(その間、鬼嫁は砂利を敷く作業してます)
やったー!
やったぞーー!!
(しかし、まだ続く)
]]>秘密兵器、電動ミキサーまぜ太郎!
これで二人で作業する分のコンクリートを練ります。
共に50代の夫婦が2〜3時間するのにちょうどいい。今回だけじゃなく、今後もあちこち補修するのに便利です。
2021年7月
8月も週末ごとに二人で進めていきます。
9月
何とか土だった部分を終えて、最後の段差は段差ステップを置けばいいと思ってたら
15センチの段差ステップでも、
あと8センチ足りなかったーー!
うわあぁーーん(泣)やらかしたーーー(大泣)
奥さんが白目でブツブツ言ってたら、ダンナさんがモルタルでかさ上げしてくれました。
・・・これでイケる?
イケるかな??
ようし!
次は、中庭に入るための門を作るのじゃーーーーーダンナさんが。(続く)
]]>気が付くと、久しぶりのブログです。
今回は、今年ずっと地道にやってる作業をまとめてみます。
2021年、べラミ山荘大家であるワタシは、念願の
「中庭まで車で入れるよう、なんとかしよう」作戦に着手しました。
ベラミ山荘に駐車場はありますが、母屋までくねくね石段を歩いて下りなくてはならないのです。
大きな荷物は運ぶのが大変で、足の不自由な人にとっても非常に不便でした。
母屋の一階部分まで、車で行ける道もあるにはあるのですが、細くて方向転換が出来ず、バックで急斜面を下りることになります。
それに母屋の二階や中庭までは大きな段差があり、車では行けませんでした。
そこでまず、下からの細道の大きな段差をなくそうと、コンクリートを打つことにしました。
2021年4月。
まずは段差の部分の草取り(取ったところはまた生えないようトタンを被せる)。
表面の土を取るのに、ドクダミの根っこを掘り起こす羽目に。
母屋一階のから出た瓦礫がちょうどあったので、なるべく均等に敷きます。
(捨てるものを生かせて一石二鳥)
2021年5月
セメント・砂・砂利を大量購入。
ワイヤーメッシュも入れて、ダンナさんがコンクリート打設。
(この時点では手練り)
別にキレイにしなくてもいい、むしろ車が滑らないよう凸凹でいいんだから、素人でも何とかなるやろ、と思って始めました。
ワタシは瓦礫を運び、なるべく平らに敷き詰めます。
日曜日になると、ベラミで2〜3時間作業。腰にくるので長時間は出来ません。
ちょっとずつ進みます。
ここら辺で、コンクリート手練りは無茶であることに気づきました。
↑
もっとはよ気づけ!
ワタシの方も、凸凹斜面を何十回往復してるうちに腰を壊しかけました。
↑
当たり前や!
一度手伝い募集もしてみましたが、さすがにコンクリート練りまではお願いできない。
しかし、業者に頼む気はゼロ。今年は他の物件でお金がかかってるんで、ここで大金掛けたくないんです(泣)。
そこで、新兵器投入を決意しました!
(長くなったので次回に続く)
]]>2021年1月から開催しておりました、キャバレーべラミ資料展示「懐かしきべラミ」は無事に終了しました。
キャバレーのショーに出演されていた踊り子さんや芸人さんたちの写真は、何度か展示したことがありましたが、北九州市若松にかつて花開いていたグランドキャバレー・べラミ自体の資料をここまで展示したのは初めてでした。
展示の内容としては(キャバレーの出演者宣材写真以外にも)
・べラミ創業の頃の、活気に満ちた表情の若者たちの写真
・べラミの野球部が大会で優勝した賞状
・みかじめ料を巡って戦った時の経営者の新聞記事 ↓
・沢山の企業の名刺の束
・ツケを払わなかったお客さんからの泣き言のメモ
・べラミのマネージャー宛に届いた、様々な芸能社からの営業の手紙
・従業員たちが庭で宴会をしている楽しそうな写真
・ショーのギャラ表
・キャバレーの売上げが落ちて、給料カットを決断した経営者の覚書
・たった一枚の、有限会社べラミの(会社)解散届 ↓
などなど‥
一つのキャバレーに関わった人々の事実の一つ一つを手に触れて、
今の私たちと同じように、誰もが楽しんだり苦しんだり悩んだりしていたんだろうな・・・と感じていただけたら、幸いと思っております。
お客様も皆さんいい方ばかりでした。
何度も来て下さったり、お友達を連れてきて下さったり、じっくり見る方もいれば、絵を描いたり、ピアノを弾いたり、べラミ山荘の風景を楽しんでゆったりされたり、話に花が咲いたり、様々でした。
入場者数自体は200名位でしたが、コロナ禍の中もあり特に目立つ宣伝もしないのに、これだけよく来ていただいたと驚いています。
本当に有難うございました!
今後のベラミ山荘は本来の静かなシェアハウスに戻り、各入居者が活動していく場所になります。
大家としても、補修や庭の手入れや片付けを頑張ります。
通常はなかなか入りにくい場所になりますが、また面白いイベントの企画がちらほら来てます。
楽しみにしていて下さいね。
最終日、9/26には入居者のほしそらフィルム主催の「べラミ万博」も行われていました。
べラミの絵を描いて下さった田口高明さんの作品と、ほしそらフィルムの撮影した写真や映像作品を見ることが出来ました。
その映像はYouTubeでも見ることができます。
CM動画まで作ってるのがすごい〜(笑)
]]>2021年9月、蔵人ビル、やっと内覧会までこぎつけました。
2020年7月に購入して、ガラス交換して、壊れたドア替えて、諸々片付けてるうちに一年経ち、空き家で放置と思われたのか、北九州市から空き家の再生活用提案のお手紙まで届く始末。
本当は住居で貸そうと思ってたけど、設備のやり替えにはお金が足りず、悶々しておりました。
ある日、お店をしてる友人たちが蔵人ビルに遊びに来て、
「ここ、お店いけるよ〜!
もうコンクリート出した方がカッコいいんじゃない?」
と盛り上がり、大工さんまで紹介してもらって、そこから方向が決まりました。
二階の二部屋はこんなでしたが
真ん中の壁をとって、広い1部屋にして、このように↓
1階も、こんな感じを
天井を抜き、壁や間仕切りを解体し
やはりワンフロアに↓
一階の床は、床板ががっちり固定されていて、外すのも大変でしたが
自分でやってたら気が遠くなってました・・・(←根性無し)
しかし、プロの手にかかればあっという間に解体。金属枠が残りますが、ここにモルタル。
ギリギリまで職人さんに頑張ってもらって、有難かったです・・・(泣)
見よ、このイメージチェンジ!
素晴らしい!
キャッホー!!※
※厳重注意
全部が綺麗になってる訳ではありません、基本、築54年の建物です。
どこか急に悪くなってもおかしくありませんし、手の入ってない古いままの部屋もあります。
誤解なきよう、お願いします。
↑
(ネガティブ大家)
9/26内覧会当日は、特に宣伝もしてなかったため、ワタシの友人や大工のイドバタ製作所の知り合いの方が見に来てくれて、こじんまりと無事に終わりました。
どうせテナントがすぐ決まるとは思ってませんし、まだ工事が終わってない部分や外壁の塗装などありますので、その間に宣伝も頑張ろうと思います。
イベントなどで使ってもらって、反応を見るのもいいかな〜?
興味のある方は、中をお見せしますので、ご連絡ください。
furuyanokobito@yahoo.co.jp (フルイエ)まで。
先日ゆっくりお話しする機会があって、いろいろ聞いてみました。
もともとシェアハウスで暮らしたことがあり、そこで色々な人と出会い語らいあう体験が魅力的だったから、自分もやりたいと思ったそうです。
そうか、なるほど・・・
全然動機が違うなあ・・・
ワタシは部屋が沢山あるから間貸しで貸しゃあいいやん、シェアするからシェアハウスだよね、という安易な発想で始めたのよね〜
あちこちでゲストハウスやシェアハウスがあるのは知ってますが、ワタシは利用したことはありません。
↑
え、シェアハウスやってんのに?
もともと人見知りで引きこもりタイプなので、知らない人と何を話したらいいか分からないのです。
旅行もほとんどしないしね。
ベラミ山荘も「ゲストハウスしたらいいのに」と、よく言われるのですが、誰も運営管理する人がいない(ワタシは全然する気無し)ので無理だと思っています。
その後、「シェアハウス」について検索してみました。
↑
え、すでにシェアハウスやってんのに今更?
コンセプト型シェアハウス、シェアハウスの利回り、運営の方法、コミュニティに参加したり、趣味が同じの仲間ができる・・・etc.
え・・・世間ではそうなんだ・・・(汗)
なんか違うな、べラミ山荘が変なのか???
まず、
・誰も住んでない(一時期は管理人の秀ちゃんが住んでたが、それ以外は皆通い)。
・みんなやってることがバラバラ(むしろ同業だと揉めるだろうと思っている)。
・あんまりルールがない(だって大人だろ)。
・大家さんに運営の感覚が無い(致命的エラー)。
・20代の学生さん達から、72歳の時川座まで、世代も様々(様々過ぎる)。
30代の若者たちが出会い交流し、みたいなテレビ的世界、ゼロ。
↑
いや、高塔山の裏でそれは無理やろ。
あららら、まあ、仕方ないか。
いつのまにか、こうなっちゃったんだし、息抜き放任型シェアハウスってことにしよう。
名前は後から付いてくる。
]]>
ワタシ、そろそろ元のポジションに戻ろうと決意しております。
影で働く黒子に。
目立たずコソコソした、地味で真面目なおばちゃん。
抜けてるけどそこそこお人好し。
古家好きすぎて買ってしまう謎の大家、それがワタシの本来の姿。
べラミを買ってしまった時から、この家を借りてもらうのは相当大変と覚悟して頑張りました。
脇汗垂らしながら、前に出て話し、イベントやって、取材受けて、トークイベント出て。
顔は出さないまでも、文章書いてみたり、関東まで出店してみたり。
いろんなお店の人、仕事の人と知り合いになって、「べラミ山荘のオーナー」なんて言われて、
随分といい気になっていた気がします。
思い起こすと恥ずかしいです、大変申し訳ありませんでした。
あのですね・・・・昨年、闘病中だった義母を亡くして部屋を片付けながら思ったのです。
ワタシは後どのくらい体が動くだろう。いつまで好きな場所に自分の足で行けるだろう。
いつかやりたいと思ってたことを、やらないまま死んでいくのかもしれない。
そしてワタシが死んだ時、子どもたちは何を思うだろう。
母である自分、嫁である自分、大家である自分、ガス検針のおばちゃんである自分。
忙しくて、いつも時間とやらなきゃいけないことに追われている。
子ども達と話せてるだろうか、話を聞いてるだろうか。
何かに心が高揚したり感動することもあまり無く、
新しいこととか、知らないことを知ろうとするのが段々億劫になっている。
一旦全部の立場を外した自分がやりたいことって何だろう?と落ち着いて思い返すと・・・何も浮かんでこない。
え、ワタシって案外空っぽじゃない?
どうして? あれ? なんで?
そんな風に内心で動揺していた頃、べラミに新しい入居者さんが入り、たあいないお喋りをして、
また違う風が吹き始めたなあ〜と感じました。
彼らの目に映るべラミも素敵、彼らは彼らの物語をもう始めてる。
入居者さん達が今のべラミ山荘を楽しんでるのが、とても新鮮で、嬉しくなりました。
そう。
風が吹いたら、気が向く方に歩けばいいじゃない。
今までやってきたことは全て繋がっている。
ワタシは空っぽなんかじゃ無い、次の方向を見定めようと立ち止まっただけ。
知らない人と話すのはやっぱり苦手、とにかく古い家が好き。
ワタシの古家を気に入ってくれる入居者さんを大事にしたい。
家族も大切、子どもたちと一緒に暮らせる時間も大事にしたい。
社会的な成功やトークできるようなノウハウなんか、ワタシはどうでもいい。
維持できる程の家賃をもらって、入居者さんと仲良くやれたら、それで幸せ。
その中でバランスを取り、折り合いをつけながら、古家商を続けて
何かまたやりたいことが見つかったら、一歩一歩進めばいい。
キャバレーべラミの資料展示が終わったら、大家さんとして裏方に専念していこうと思います。
べラミには相変わらず通いますし、何かあれば出動します。
古家商として、他の物件にも力を入れていきます。
入居者さんのやりたいことをサポートして、利用したい方とよく話して、一緒に楽しんでいきます。
「ベラミのオーナー」とか肩ひじ張って前に出ずに、後ろからのんきに気ままにいきます。
時に任せ、風に任せて。
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「やってきたこと、間違ってたかな・・・」
今年1月から長期間、キャバレーべラミの展示していますが、
「この資料に価値があるか、お客さんに聞いてみよう〜」と実験的に始めたので、
気楽に来てほしくて入場無料で撮影自由、時には母屋の案内までしてます。
これだけの昭和芸能・グランドキャバレーのショー・若松の歴史資料なので、
興味のあるお客さんがポツポツ来て、本当に楽しんでくれてます。
これをきっかけに入居者も入ってくれて、レンタルの申込までありました。
新規のフォロワーさんも増えています。
ありがとうございます!
誰かと会って話して楽しいし、皆にも楽しんで欲しい。
でも・・・・何故かもやもやする。
どうしたんだろう。
いろんな人と話して、知ってもらって楽しいのに、気が付くと考え込んでました。
9月に展示を終了しようと決めた時には、どこかほっとしている自分がいました。
実際、やればやるほど疲れてるのです。
ポストカードの売上、1枚150円、そんな日もありました。
昨年からのコロナ禍と入居者の退去、やりたいことは沢山あっても時間と体がついていかない毎日。
やってて楽しいとか、お客さんへの感謝だけで、今のような状態を続けられるか・・・
べラミ山荘は、ただのシェアハウスでいいじゃない。
あんまり知られずに終わってしまってもいい・・・むしろ、そっちが楽かな。
気持ちが切れかかってるのを、見ないようにしていました。
”まあ、高塔山公園の近くにこんな素敵な場所が。。。是非借りてみたい。。。おいくらですか。。。お願いします”
なんて言われるかも〜とか
”こんな貴重な資料が残ってたなんて。。。これはすごい。。。是非取材させてください”
なんて言われるかも〜とか
儲からなくたって、これが次のチャンスに繋がるかも?と、妄想をして気持ちを上げようとしました。
ところが、いざ本当になりそうになると、ビビッてしまいました。
「いやいや、レンタル代深く考えてなかった〜、どうしようかな〜」とか
「いやいや、取材って言われても、これ以上のお客さん対応できないし、入場無料だからこっちはなんにも儲からないです。かえって負担になりますからお断りします」とか
何言ってんの・・・
そんなこと言うのは、どの口? はあ?
チャンスが来た時、尻込みしてどうするの!
稼がなきゃここを維持できないし、価値ある場所として堂々と対応するべきなのに、
なんで持ち主であるワタシが価値を自ら下げにいっちゃうのよ!
貸したいのか、貸したくないのか、
知って欲しいのか、知って欲しくないのか、
儲かりたいのか、儲からなくていいのか、どっち?
てんで支離滅裂やん!
実は、迷走はそれだけではないのであります。
べラミ山荘にはカメラ好きな方がよく来るので、撮影レンタルスペースもいけるかな?と聞いてみたら
「撮影場所としてはすごく魅力的」
「申込方法とか料金設定がはっきりしてない」
「たとえ撮影自由な場所でも、プロは撮影許可をはっきりさせないと躊躇する。お金を払って借りるほうが自由に撮れる」
と意見をもらって、嬉しい反面、頭が痛くなってきました。
今まで、ワタシは来た人が自由に写真撮るのも、SNSに上げるのも、気にしてませんでした。
自然と宣伝になって、それで来場者が増えたら、有料で借りてくれる人も出てくるだろう、
料金はそれから決めていこうと、のんびり考えてました。
相手の身になったら、金額も条件も分からないでは不安で申込できないのも当り前。
そもそも、一般のお客さんでも撮影できる場所をわざわざお金出して借りる訳がない。
お金出しても借りたい場所って、どんな所だろう?
例えばめったに入れないとか、通常は撮影禁止とか、他の人が撮ったことがないとか・・・・
あぁぁぁーー
ダメじゃん!
誰でもいつでもどこでも案内しては撮影OKにしてたじゃん!
だって、撮って欲しかったんだもん!
どこも素敵なんだもんーーー!
でも、それって安売りだったの?
いつか、べラミ山荘で二階堂のCM撮影あるかもって夢見てたのに!
↑
(そんな夢みとったんかーーーい)
ああああーーーーー
もう白目・・・時を戻したい・・・
・・・ウググッ・・・
い、いや!
もう今までのことは仕方ない。(←立ち直りは早い)
来てくれた皆さんに惜しみなく見せて、楽しんでくれたお客さんの気持ちと写真があって、
それが7年間ずっと広がっていったから、今があるんだ。
何も悪くはない。お客さんにも感謝しかない。
ただワタシのやり方が稚拙なだけで、今から反省して改善すればいい。
疲れて儲からなくて気持ちがもたないなら、しばらく休んでもいい。
それから、少しずつでも儲かるようにもっていけばいい。
サービスはしてもいいんだ、安売りはしないようにする。
なにより、もっと自信をもたなくちゃ。
やり方が分からなかったら、調べたり、話を聞きに行こう。
そして、
いつかべラミ山荘で(二階堂はさすがに無理としても)
CM撮影を♡
↑
(まだ言うか!)
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