ある日、ネットを見てましたら
「ノルタルジックな鉄路「肥薩線」を巡る旅」の参加者募集という文字が目に飛び込んできました。
おおおお!薩肥線、おうわさはかねがね!!
コースもド・ストライク!
行きた〜い!!。
いつもは1人で平気なワタシですが、長時間のバスでひとりぼっちはさすがに辛いと思い、
ダンナさんを言葉巧みに誘ってみました。
「薩肥線って面白いとよ〜!遠くて疲れちゃうからなかなか行けないけど、バスだから楽だよ〜!一緒に行こうよ!」
↑
どこが言葉巧み?
別に鉄オタでも産業遺産好きでもないダンナさんからの一言。
「肥 薩 線 !」
「へっ?」
「ひ・さ・つ・せ・ん!」
よく見ると、確かに・・・今までずっと薩肥(さつひ)線だと思ってました。
「あ〜なんだ、逆になってただけじゃん」
「・・・・・・・・じゃあ、久大線を大久線って言うか?ああん?」
ダンナさん、実は日本語間違いと交通安全には厳しい男なのであります。(←おい、厳しいんじゃなく、それが普通)
さて、前置きはそのくらいで。
肥薩線は台風の土砂崩れのため運休していたため、すぐ近くでゆっくり見ることができました。
白石駅の床
きれいだぁ・・・
ちょこんと電信柱を登るはしご。
人吉駅の近くでお土産を買って、少しだけ町をぶらぶら。
いいドア。
路地がおいでおいでしている・・・
いかんいかん、集合時間を守らなくっちゃ〜
だって最後は
人吉機関区車庫 なんだもん!!
他の参加者さんはじっくり写真を撮ってました、きっと素敵な写真が撮れたんだろうな・・・
ワタシはどういう訳か、近代化産業遺産とかいわれる少し昔の建物や構造物が好きです。
産業を支え、歴史を重ねて、使い続けられて今も残ってる姿もいいし、半ば崩れかけて朽ちていく姿もなんともいえない。
人の生活の中にそっと残ってたり、町の風景に溶け込んでいたりするのを見つけると、過去が手招いているようです。
そこには、少しだけ昔、働いて汗をかいて、買い物をして、子どもを育て、苦しんで、食べて、笑ってた人々がいたのです。
今の私たちと同じように(スタイルやモノは違ってても)
汽車に乗り、川と山の迫る風景を眺めて、夕やけの雲に見とれて
故郷を離れたり、戻ってきたり、駅で待ち合わせたり。
変わっていくものと変わらないものが、町に 山に 空に 静かに交差します。
しっかりと組まれた石組み、鉄柱、長く使うための整備、工夫と知恵
仕事、体に叩き込む技、給料で家族を養うということ、誇り
そして
なにもかもがいつかは失われていくということ。
消え行く風景を愛して「そこに生きてきた人たちの、残したものには価値がある」と、
伝えようとする優しい目の人。
その語る声を聴くことが出来るということ。
それはいくら文章や写真が優れていても
直接見て聞いて、一緒の時間を共有して感じたすべての記憶には追いつかないのです。
だから、ワタシは見に行きたい、聞きたい、感じたい。
自分の経験と記憶をもっともっとかき回してみたい。
重ねて、深めて、頭の中で固まってるものを壊したい。
本当に臆病だから
ずっとずっとあきらめてばかりだから、なおのこと
知りたい。
いい旅でした。
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